2021年7月4日日曜日

夜明けのサンライズエクスプレス 2021

 5月の声を聴くと、毎年この地へのまなざしが熱くなる。

この2年間は疫病の流行で思うような遠征もできずにいたが、緊急事態宣言の終結をとらえ、機会をうかがっていたら、梅雨の晴れ間が期待できたため、6月26日未明、深夜の東名高速を西走することにした。

夜明け直前、現地に滑り込むと駿河湾の向こうに暁の夜空が見えてきた。

これは期待できるだろうか。


いざ、通過時刻、4:57













残念ながら、夜明けの太陽は雲にブロック。すわ撃沈か。天気予報が晴れでも、このように水平線間際には敵が多い。

※海側に設置された防風?潮?フェンスにより、車体に影をかけずに撮影可能になる時期はかつてより短くなってしまっているものの、4:35頃の日の出であれば問題はなさそう。



しかしながら、この日の5032M、伯備線の倒木の影響で静岡発+30分の遅れをもって走行中とあって、命拾い。

満を持して、通過時刻。

2021.6.26 5:28頃 5032M I3+I2






100点とはいかないが、トラックにかじられず、日も当たり、何とか補欠合格といったところ。2年前の6月には及ばないが、日ごろの鬱屈した気分を払拭することができた。

※2年前の撮影



















2年前のこの日は夜中に発達した低気圧が通過して、土砂降りの雨が降り、空気を一新してくれたおかげで日の出直後から強烈な陽光がフロントマスクをぎらりと照らしてくれた。

話を戻す。

サンライズの通過から数分後、もう一人の役者が登場。

2021.6.26 5:34頃 5086レ EF65 2088



























いよいよ梅雨の最盛期に入り、これを書いている今日は静岡を豪雨がみまい、東海道線は寸断、サンライズも運休となっている。この撮影を行った由比も2014年に画面後方の崖が崩れたことを思い出した。これ以上の被害が出ないことを祈る。

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2020年10月26日月曜日

EF6437牽引カシオペア信州 1年半越しの夢実現

 10月24日、田端にEF6437が送り込まれたことを知った。この瞬間、ギアが入った。

2019年5月4日。予定機の故障で急遽カシオペア牽引機として白羽の矢が立った37号機。当日私は家族運用で軽井沢にいた。家族を置き去りに稲荷山へ向かう決断をできなかった私のタイムラインには、素晴らしい光線のもと、長野を目指す素晴らしい37とカシオペアが次々に流れた。(夫・父親としては正しい選択をしたと信じている)

あれから、1年半。ついに私にもチャンスが巡ってきた。育児とコロナ禍で遠征ままならなかった期間に終止符を打つのにはうってつけの機会である。

とはいうものの、土曜の夕方、日曜日の午後と、子供の習い事が入っている一介の父親が、カシオペアを優先していい理由はどこにもない。かくして、私がひねり出したのは、往復かがやき利用、GoTo長野弾丸ツアーであった。

ロクニ、ロクサンを引退へ追いやった北陸新幹線(当時は長野行新幹線)に助けられてロクヨンを撮影しに行くとは、なんとも因果なものだが、背に腹は代えられない。

かくして、10月24日夕、家族運用を済ませ、18:50私は「かがやき515号」の人となった。

現地入りしたのは、20時過ぎ、真っ暗闇の聖川河畔には、明日、誰の保釈を待ち構えるつもりなのか、というほどの脚立が文字通り林立していた。それでも、ありがたいことに先着している仲間に導いていただき、どうにか狙いの線路際に構える見通しを立てることができた。


明けて25日。夜明けを待たずして、現地は戦場の様相を呈した。

一度立ち入ったら二度と出てこれないひな壇の構成員となり、待機する2時間。寒気の流れ込みにより、北アルプスを越え吹き込んでくる北風が、盆地の空に雲を満たそうとする。日向、日陰を短いサイクルで繰り返し、100人をゆうに超える集団が、自分ではどうすることもできない天にすべての運を任せ、その時を待つ。

7:55。桑ノ原は晴れたらしいとの声がひな壇に漏れる。桑ノ原が晴れて、稲荷山が曇るなど、許されない。全員そう思っただろう。しかし、許すのも許さないも太陽のふるまい一つ。

7:58。稲荷山で交換するしなのが定時をやや遅れて、現地を通過。












空には雲の切れ間から朝日が差し込んできた。今来てくれ、全員の祈りが通じたのかどうか定かではないが、稲荷山に停車する383系の陰から、2灯のヘッドライトがのぞいた。

踏切が鳴動し、EF6437は稲荷山を発車。緩い勾配を迫ってくる。審判の時。

8:03。我々は許された。













1年半越しの夢をかなえることができた瞬間であった。

撮影後は、撤収を急ぐ。東京に11時には戻らなければならない。長野まで来たのにである。正直、酔狂以外の何物でもない。北陸新幹線がいくら速いといっても往復5時間近くかけ、睡眠と移動を除いた長野での実質滞在時間は6時間ほど。そのほとんどを何もない線路際で身じろぎ一つせず、空気椅子のような姿勢で過ごし、1/800秒の仕事を終えて、また東京へ帰る。2万円ほどもかけて。

馬鹿としか言いようがない。しかし、辞められない。ロクヨン37号機が長大寝台客車編成の先頭に立ち、順光線を浴びて、長野の緑の中を行く姿を大きく写したいというその一念だけで、万事を調整し、少なくない額を投じてしまう。

常人には理解しがたいだろう、それでもこの一枚の達成感を味わいたく、また次を求めてしまうのだ。

碓氷峠を瞬く間に駆け下り、快晴の関東平野を東京に向かう「かがやき504号」の紺色のシートに身を委ね、祝杯に酔いながらも、あと左に2m、下に1m行けば、カマの顔の周りに鉄塔を映り込ませないままに、左右の余白を減らし、後ろのパンタにかかった架線柱もロクヨンの車体に隠れるだろうかと新たな課題を科し、思案を巡らせるのである。


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2020年2月29日土曜日

【再録】大牟田のこと ~三井化学専用線~

大牟田市に残る三井化学専用線の廃止が地元紙である西日本新聞で報じられました。

【動画あり】国内最古「炭鉱電車」廃線へ 5月にも三井化学大牟田工場



黒崎にある三菱ケミカルが4月末で硝酸の製造をやめるためとのこと。

古典電機が現役で活躍する姿はそれだけで世界遺産ものだっただけに、ここまでよく永らえてくれた、という気持ちのほうが強いですが、もう一度訪問したいとの思いも同じくらい強いです。

2017年12月に訪問した際の記録を掲載。

黒崎からはタンクコンテナをEF76が牽いてきた。大牟田の側線へ入線。
西鉄の裏被りが大牟田感を高めてくれます。




















ここから三井化学との接続点になる仮屋川操車場までは元DE10の入換動車が牽引





(番外)操車場脇を通過するななつ星

































ハイライトは国道208号を横断する旭町1号踏切。
返空・積車の2往復が設定されている関係で、単機列車も設定されています。
踏切は小屋に詰める警手が操作。列車の運転があるたびに、カブにのってやってきます。







硝酸の積まれたコンテナを引き取ったら、工場のある宮浦駅へ。

工場の中へは蓄電池車を伴った機関車が担当。


宮浦駅に集う古豪たち。


1日にコンテナ10個ほどの原料を輸送するために、短時間で4種類の機関車で継走されるのは趣味的に非常に赴き深いものの、化学メーカーとしては2往復の列車を運行するために、線路、電機設備、車両といった資産を維持管理せねばならず、原料調達コストを押し上げる要因になってしまうことを考えると、直接の要因は三菱ケミカルの硝酸生産停止ですが、生産性向上のためには鉄道輸送終了の判断には理解を示さざるを得ません。

すでに世界遺産に登録されている炭鉱鉄道の本線に加え、これらの電機たちもその仲間とともに大切に余生を過ごすことを願っています。






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2020年2月16日日曜日

現役最後の輝き 489系H01編成「能登」

Twitterに掲載したところ、予想外の反応をいただいた、489系「能登」最後の姿。
1997年の白山運転終了後、国鉄特急色(雨どいが微妙に異なるが)に戻され、もっぱら能登専用編成となった金沢の489系。

H01~H03の3本が主に能登には充当されていたが、編成ごとに形態に小変化があり、興味は尽きませんでした。

来春のダイヤ改正で北陸ともども引退の可能性が報じられ、ラストチャンスをなんとかものにしようと上野口へ通いました。

上野着が6時過ぎと、冬場の撮影は非常に困難を極めるなか、目を付けたのが井堀でした。電車編成ならでは、かつ、ボンネット型が功を奏し、回送であっても、営業運転さながらの姿を収めることができます。

11月に入ってはいたが、週末のたびに、何度も足を運んで、H01編成をものにすることができました。

今では、京都鉄道博物館で往年の姿をきれいに復元し、来場者を楽しませている昭和の名車。こうして現役最後の輝きに向き合えたことは、この趣味を続けてきた中で一つの財産になりました。

2009.11.3 回612M H01編成

H02,H03も2009.11.7 H02
2008.11.8 H03


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また、京都でこのヘッドマークを掲げる姿を見てみたいものです。

2020年1月27日月曜日

雪の長岡バルブ

記録的暖冬で例年雪に覆われる日本海側も積雪がない状態となっていたこの冬。南岸低気圧の通過に寒気の入り込みで関東地方にもこの冬初めてまとまった雪が降る予報が出ている。

今日振り返るのは、10年前の冬。

年末、12月に翌春のダイヤ改正の概要が発表され、兼ねてからうわさになっていたとおり、北陸の廃止、能登の臨時化が決まった。

日の短いこの時期、23時に出て、6時台に到着する夜行列車の走行を撮影することはかなわない。そこで、遠路目指したのが長岡だった。

駅外の線路沿いの道路から、構内を望遠でのぞくことができるポイントが撮影地だった。消雪パイプから流れる水に長靴を濡らしながら、雪を浴びながら立ちっぱなしの撮影でも、時間を忘れて構内を見つめ続けた。

あけぼのは、上下とも最も外側のホームに停車するため、全景を写すことはできず、狙うはもっぱら、北陸と能登となる。

しかし、両列車とも長岡でエンドを交換するため、長時間停車をするものの、前照灯ロービームで撮影できるのはものの数秒である。北陸の場合は、着回しがあるため、入換灯が灯るものの、ヘッドライドを照らした姿は比較的長い時間撮影可能だが、難しいのは能登。ハイビームで到着、即消灯ということもしばしばである。

この日は運よく、ロービームで到着し、しばらく着けっぱなしにしてくれた。




今度は上り北陸が到着。



次いで、下り北陸到着。背後に金沢までを受け持つEF81が控えている。
前照灯が存在感を示す。
金沢行きの脇を大阪行き日本海が大雪をまとってかすめていく。

真夜中の夜行列車の競演。この冬、雪の関越を越えて何度も通った長岡だったが、7月から新潟勤務となった。しかし、時すでに遅し。北陸もボンネット能登も過去のものとなり、長岡の夜はすっかり静まってしまった。

さらに、この後、日本海も、そしてきたぐにもトワイライトも、あけぼのもすべて過去のものになる。新潟の二年間はそうした日本海側夜行列車に別れを告げるための時間になるのだった。


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2020年1月22日水曜日

JR東海 315系は8連と4連

元日のニュースで、JR東海が315系を新製することが報じられ、3週間。
本日、公式にニュースリリースがありました。

JR東海 社長会見 在来型通勤電車の新製について


画像はJR東海報道発表資料を引用。

ところで、最近のJR東海は、新車の前照灯を見せない発表方法が定着しつつありますね。

それはさておき、リリースによれば、現存する、211系、213系、311系を5年で置き換える計画とのこと。
公式サイトでは352両を製造することが記載されていますが、時事通信の報道によると65編成を導入するとなっています。

JR東海、新型の在来線通勤型電車を投入 21年度から65編成

65編成で352両、となると、どのような編成バリエーションが考えられるのでしょうか。
投入線区は、東海道(名古屋、静岡)、中央、関西ということです。輸送力を最大限に発揮するのは朝夕の中央西線ではないかと思いますが、現状では211系、313系の10両で運転されていることを踏まえると、6両8両編成と4両編成が製造されるのではないかと推測します。(2020.1.24交通新聞)

ちょうど、連立方程式を解くと、整数の解が出てきます。

x+y=65
68x+4y=352
x=4623 y=1942

6両編成46本、4両編成19本が製造されるのでは?あたるでしょうか。
8両編成23本、4両編成42本とのこと。

静岡、神領、大垣にどのように配分されるのか、想像は尽きませんが、自分の人生の大半を共にした、211系、213系、313系が引退するのは寂しいものです。

中でも、211系のトップナンバー編成や、新快速の歴史を切り開いた311系は特になじみ深く、デジタル画像としてのストックも全然ないところなので、何かの機会、と言わずに記録しておきたいところです。また、119系引退にあたって、水色に戻したJR東海様、211系も懐かしの青帯を復元していただけないかと願っております。




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2020年1月18日土曜日

日本から遠ざかる翼 ~A340~

2020年3月29日、航空業界のサマースケジュール切り替えのタイミングから羽田空港の国際線枠が再拡張されます。ターミナル名も、従来の国内線(第1、第2)、国際線という名前から、第1(国内線)、第2(国内線・一部国際線)、第3(国際線)への切り替わります。

ダイヤにも大きな変革が押し寄せ、アメリカ便を中心に成田からの移管があるほか、新規就航もあり、合計で50便が増加します。

それを可能にするのは、離発着方式の変更や、ターミナルの拡張等なのですが、これについてはまたいずれ触れることにして、この変革のタイミングで思わぬうれしい誤算が生まれることに気づき、今日は記事を書くことにしました。

それはタイトルにあるA340に関することです。Twitterではすでにつぶやいていますが、3/29出発便からスカンジナビア航空(SAS)が、デンマーク・コペンハーゲン(CPH)便として運航しているSK983/984便を成田から羽田へ移管します。

ながらくA340で運航されてきたこの便ですが、SASは新鋭機A350-900を導入し、羽田便へも投入することをアナウンスしています。スカンジナビア航空、東京/羽田〜コペンハーゲン線開設 来年3月29日から(TRAICY)

てっきり、羽田移管のタイミングからA359を投入するのかと思っていましたが、記事を見ると6月からと書いてあります。

ということは、羽田でもSASのA340がみられるチャンスがあるのです。

A340はエアバスが従来DC-10やL1011などの3発機で運航されていた市場に食い込むために1990年代前半に投入した4発機です。

ヨーロッパのキャリアがMD-11などの後継機として投入し、1990年代後半~2000年代初頭には一大勢力を構築しました。

日本には、MD-11から置き換えた、スイスやフィンエアのほか、エールフランスやルフトハンザ、エアタヒチヌイ等がA340-300を、また当時世界最長の胴体となったA340-600
を用いてルフトハンザやヴァージンアトランティックが乗り入れてきていました。

しかし、その後燃費がよく航続距離も改善されたB787やA350といった双発機が開発されたことや、それらの機材がETOPSを取得したことで長距離国際線からも次第に撤退していくことになりました。

私の知る限り、現在定期的に日本線に投入しているのは、ルフトハンザ(名古屋)、スカンジナビア(成田)、スイス(成田)ほどになっているのではないでしょうか。

スイスも2月からはボーイング777-300ERへ置き換えることを決めていますし、ルフトハンザもA350を増やしています。そして、スカンジナビアもA350への置き換えを決めました。

そのスカンジナビアのA340-300を最後に羽田で見られるとは!
ダイヤは以下の通りとなっています。

SK983 CPH14:55 ー HND7:55(₊1)
SK984 HND11:50 - CPH16:10

機材は当面A340-300(数日に一度はA330-300)です。6月からは徐々にA350が投入され始めるようです。(SAS公式サイトで確認すると、6/9が投入初便となる?)

A340-300は離陸までに非常に長い滑走をすることで有名です。成田空港のA滑走路を明いっぱい使ってものすごく低く上昇していくのは、撮るほうとしては非常に魅力的ですし、乗っているほうはヒヤヒヤものです。

そんな印象的な機材が日本の空を去ってしまうのは寂しいですが、チャンスある限り羽田で最後の雄姿を記録し続けたいものです。

2020.1.5 SK984 NRT-CPH エンジンカウルの赤が印象的。
こちらは一足早く、日本の空に別れを告げるスイスのA3432020.1.5 LX161 ZRH-NRT

羽田のR/W34Rから離陸すると、大きく東へ旋回します。その瞬間をこの目で見る日がいまから待ち遠しいものです。これ以上に豪快なターンを見せてくれることでしょう。






以下は2005年ころ。
オーストリア、ルフトハンザ、エジプトエア。ほかに、トルコもありました。





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