2020年10月26日月曜日

EF6437牽引カシオペア信州 1年半越しの夢実現

 10月24日、田端にEF6437が送り込まれたことを知った。この瞬間、ギアが入った。

2019年5月4日。予定機の故障で急遽カシオペア牽引機として白羽の矢が立った37号機。当日私は家族運用で軽井沢にいた。家族を置き去りに稲荷山へ向かう決断をできなかった私のタイムラインには、素晴らしい光線のもと、長野を目指す素晴らしい37とカシオペアが次々に流れた。(夫・父親としては正しい選択をしたと信じている)

あれから、1年半。ついに私にもチャンスが巡ってきた。育児とコロナ禍で遠征ままならなかった期間に終止符を打つのにはうってつけの機会である。

とはいうものの、土曜の夕方、日曜日の午後と、子供の習い事が入っている一介の父親が、カシオペアを優先していい理由はどこにもない。かくして、私がひねり出したのは、往復かがやき利用、GoTo長野弾丸ツアーであった。

ロクニ、ロクサンを引退へ追いやった北陸新幹線(当時は長野行新幹線)に助けられてロクヨンを撮影しに行くとは、なんとも因果なものだが、背に腹は代えられない。

かくして、10月24日夕、家族運用を済ませ、18:50私は「かがやき515号」の人となった。

現地入りしたのは、20時過ぎ、真っ暗闇の聖川河畔には、明日、誰の保釈を待ち構えるつもりなのか、というほどの脚立が文字通り林立していた。それでも、ありがたいことに先着している仲間に導いていただき、どうにか狙いの線路際に構える見通しを立てることができた。


明けて25日。夜明けを待たずして、現地は戦場の様相を呈した。

一度立ち入ったら二度と出てこれないひな壇の構成員となり、待機する2時間。寒気の流れ込みにより、北アルプスを越え吹き込んでくる北風が、盆地の空に雲を満たそうとする。日向、日陰を短いサイクルで繰り返し、100人をゆうに超える集団が、自分ではどうすることもできない天にすべての運を任せ、その時を待つ。

7:55。桑ノ原は晴れたらしいとの声がひな壇に漏れる。桑ノ原が晴れて、稲荷山が曇るなど、許されない。全員そう思っただろう。しかし、許すのも許さないも太陽のふるまい一つ。

7:58。稲荷山で交換するしなのが定時をやや遅れて、現地を通過。












空には雲の切れ間から朝日が差し込んできた。今来てくれ、全員の祈りが通じたのかどうか定かではないが、稲荷山に停車する383系の陰から、2灯のヘッドライトがのぞいた。

踏切が鳴動し、EF6437は稲荷山を発車。緩い勾配を迫ってくる。審判の時。

8:03。我々は許された。













1年半越しの夢をかなえることができた瞬間であった。

撮影後は、撤収を急ぐ。東京に11時には戻らなければならない。長野まで来たのにである。正直、酔狂以外の何物でもない。北陸新幹線がいくら速いといっても往復5時間近くかけ、睡眠と移動を除いた長野での実質滞在時間は6時間ほど。そのほとんどを何もない線路際で身じろぎ一つせず、空気椅子のような姿勢で過ごし、1/800秒の仕事を終えて、また東京へ帰る。2万円ほどもかけて。

馬鹿としか言いようがない。しかし、辞められない。ロクヨン37号機が長大寝台客車編成の先頭に立ち、順光線を浴びて、長野の緑の中を行く姿を大きく写したいというその一念だけで、万事を調整し、少なくない額を投じてしまう。

常人には理解しがたいだろう、それでもこの一枚の達成感を味わいたく、また次を求めてしまうのだ。

碓氷峠を瞬く間に駆け下り、快晴の関東平野を東京に向かう「かがやき504号」の紺色のシートに身を委ね、祝杯に酔いながらも、あと左に2m、下に1m行けば、カマの顔の周りに鉄塔を映り込ませないままに、左右の余白を減らし、後ろのパンタにかかった架線柱もロクヨンの車体に隠れるだろうかと新たな課題を科し、思案を巡らせるのである。


鉄道コム

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